HOME > 日々のこと > ”義”と”利”

日々のこと

”義”と”利”

歴史小説の会話ってどうやって書いてるんですかね?

発見された書籍? 言い伝え? それとも著者の想像?

最近読んだ本で、「天地人」という歴史小説があります。

NHKの大河ドラマで放映されていましたね。

その中の 直江兼続 と 真田幸村 の会話がとても感慨深かったので紹介したいと思います。

 

兼続 「力で人を支配し、従わせるには限りがある。その証拠に、織田信長を見よ。

           信長はおのれを中心とする権力を築き上げ、恐怖をもって人を屈服させようとした。

           が、その末路は家臣にそむかれ、織田家の栄華も、砂の城のようにあっけなく崩れ去った。」

 

幸村 「では、兼信さまは、いったい何をもって、人心をひとつにまとめ上げたのです?」

 

兼続 「義だ」 「わかれ道に立ったとき、人は何によって動くと思う?」

 

幸村 「利のあるほうへ、人の心はしぜんに流れていくものだと、

           わが父昌幸は口癖のように申しております」

 

兼続 「たしかに人は、利で動くものだ。だが、それだけではない」

           「人はときに、利を超えた志のために動くことがある」

 

幸村 「それが、義」

 

兼続 「そうだ」

         「われらは、獣ではない。人だ。利を追いもとめながらも、心の底では、

          それだけに振りまわされることをむなしいと思っている。不職庵さまは、

          義の旗じるしをかかげることによって、生きることの意味をみなに問いかけたのだ」

        「義をとなえることは、たしかに不利だ」

        「ゆえに誰もが利に走る。しかし、難しいからこそ、それは光輝く。

          義をおこなえば、目先の利を追うだけでは得られない、

          まことの人の信頼を勝ち取ることができる。そうではないか」

 
・・・ ”利” とは利益のことですね、人は物事をある程度予想できる生き物です。

これをやれば結果こうなる、こう動けば結果こうなる、この世の中では”利”という合理的な考え方はとても大切なことです。

”義” とは、困っている人や悩んでいる人の為に自分が行動を起こすという結果の見えない非合理的な考え方です。 ”利” とはまるっきり対極に位置するものです。

私は、 ”利” というのは、100%のものを最大100%発揮できるものだと思っています。

そして ”義” とは、無限の可能性を秘めているものだと思います。この世の中は人と人のつながり関係性の上に成り立っています。

”義” という無限の可能性の中で ”利” を得る。

とてつもなく難しいことですが、意識するだけで、皆様にとって、より良い生活環境になるのではないかと思います。

それは、人に信頼されることほど、嬉しいものはないからです。

私も今の環境にて ”義” を常に意識して ”利” を得ていきたいです。